6種類の木材から選ぶことができる美しい木目と、触れた際の柔らかな質感が人気の「めいぼく椀」。さまざまなライフスタイル誌にもたびたび掲載され、大手食品メーカーの広告などにも採用されるこの椀を開発した薗部利弘さんとは?
いまに至るまでの道のりとは?
「つくることよりも先に売る現場を見られたことが良かった」
「3代目として薗部産業を継ぐことはもともと決まっていたので、大学卒業後は父から商品の売り方を学んでこいと言われまして。3年ほど漆器問屋の一員として都内有名デパートで修行をさせてもらっていたんです。その後、小田原に帰ってきてからはバブルがはじけた直後ということもあり、木地師ではなく営業をやっていました。
いま思えば、問屋でさまざまな産地の漆器を見られたこと、そしてその後営業として小売店やデパートなどの売り場を見られたことが、その後の経験にすごく生きたなと思います。
というのも、当時は木製の器といったらうちがつくっていたものも含め漆器が主流でして。そのほとんどがお椀がいくつかセットになった贈答用だったんです。でも、実際の売り場を見ていた私には、お客さんはお椀とお箸は自分で選びたいはずだという確信があった。
かつ、仮に漆器で勝負しようとした場合、石川県の山中漆器には勝てないのではないかという直感がありまして。そのふたつの要因が重なって、うちにしかできない木製のスープボウルをつくろうと思ったんです。それが薗部産業の主力商品であるめいぼく椀が生まれるきっかけとなったわけです。
銘木椀が完成した当初は苦労しましたね。なにせ漆器じゃないわけですからデパートはほとんど採用してくれなかった。でも、方向転換して小売店や雑貨店に掛け合ってみたら思いのほか反応がよくて。
それからじわじわとめいぼく椀のオーダー量も増えまして。いまでは逆にデパートからも売り場に置きたいとご要望いただいて、生産が間に合わず納品を待ってもらっているところもあるぐらいでして。本当にありがたい話です」
客観的に見て、自身はどんなヒト?
「常にポジティブですね。
その時にできることをやり切るタイプです」
「めいぼく椀をここまで育てられた理由はふたつあるんです。ひとつは過去に大量のサラダボウルをアメリカに輸出していたこと。もうひとつは優秀な木地師たちが長年蓄積してきた技術があったことです。
戦後、薗部産業は月5万個のサラダボウルを輸出用につくっていたのですが、はじめの頃は日本とアメリカの湿度の違いもあり、納品したサラダボウルがゆがんだり割れたりしたそうでして。その対策として当時、周辺の企業と協力して大規模な乾燥所をつくったのですが、その技術がめいぼく椀を全国に展開する際に役立ったんです。
そして、もうひとつの理由に関してなのですが、通常の木製の椀はタテ向きに木取りするのですがうちはヨコにとっているんです。めいぼく椀が割れづらく温度や水分にも強い理由はまさにこれなのですが、ヨコに木取るにはものすごい技術が必要なんですよ。でも幸い薗部産業には長年漆器をつくってきた、加工用の刃物から自作するような職人がたくさんいた。
めいぼく椀が生まれる前までは正直業績が良いと言えない状況でした。でも、そんな中でも自社に眠っている資源と、木製の椀に対する隠れたニーズを適切に結びつけられたことが現在につながっているんです。あのような時にでも悲観せずにポジティブに何をすべきか考えられたことが、私らしさなのかもしれません」
生産者として最も大事にしていること
「前提に固執せずに、時代のニーズを適切にとらえることですね」
「作り手の本質的な存在価値は、お客様が大事に使いたいと思える製品をつくって、適切なカタチで届けることだと思っているんです。だから、いままで培ってきた技術力は生かしつつも、製造するプロダクトは時代のニーズに沿ったものでなければならない。お客様からしたら、木工の世界に存在する業界ルールのようなモノは関係ないですから。
我々の強みは、木材の加工から塗りまで、全工程を自社でできること。お客様の意見を最終の仕上げにいたるまでくまなく製品に反映できるこの状況をうまく活用して、これから先も商品開発に臨んでいきたいですね。昔は商品を問屋に卸していましたが、いまは小売店に直接卸すことが増え、よりお客様の声を聞ける機会も増えましたし」
これからの展望
「『椀』の次は『箸』ですね。
毎日使ってもらえるものをつくりたいので」
「もともと、めいぼく椀を開発した当初から箸をつくりたいという想いはあったのですが、それをここまで浸透させることができたいまだからこそ、満を持して箸をつくってみたいなと。日本の木を使用した日本でつくっている箸って、意外とないんですよ。
椀もそうですが、箸も毎日使うものですからね。やはり作り手としてはエンドユーザーの方により使ってもらえるものをつくっていたいですし。本当に良いものを本気で追求すれば、世の中はそれを受け入れてくれるということがわかったので、いままで学んできたことをすべてそこに注いでみようかなと。
めいぼく椀にはたくさんの競合品がありましたが、あれはうちにしかない技術力があってこその商品なので正直負ける気がしなかった。箸でも同じような自負を持てるぐらいになりたいですね。いまとなってはライバルが欲しいのでむしろ我々を超えてくれるようなところが出てくることを期待している節もありますが」
ヒトに伝えたい小田原の魅力
「自然豊かな環境でありながらもすぐに都心に出られることが魅力です」
「私たちからすると、これだけ自然が多く、モノづくりをする上での環境が揃っているにも関わらず、東京に近いというところが一番の魅力だと思います。先にも述べた通り、我々はつくっているだけでなく、いろんな商品やお客さんを実際に知ることが大事なので。
また、もともと小田原で盛んにつくられていた漆器は、職人同士が競いあいながら切磋琢磨し技術力を向上させていったという歴史があるんです。その風土もこの地ならではじゃないかと。息子ふたりも私と同じ道を歩んでくれているので、一番身近なライバルとしてお互いに刺激をもらいながら精進していきたいですね」
まとめ
自分たちが置かれている状況を、外部環境と社会のニーズを見極めながら分析し、打開策を講じてきた薗部さん。本人は「その時に必要なことを一生懸命やってきただけ」と言うものの、客観的に見ればそれはまるでマーケティングの教科書にのっているようなこと。
必要なのは手法論の知識ではなく、その場で状況に応じた最善策を冷静に自分で考え抜くこと。そんな本質を背中で語ってくれた薗部さんの描く未来が、これからどのように実現されていくのかが楽しみだ。