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生産者と売り手の両方の視点を持ち米文化の発展を目指すお米の専門家

「志村屋米穀店」代表 志村茂則さんに聴く

2022.08.28
生産者と売り手の両方の視点を持ち米文化の発展を目指すお米の専門家

創業明治20年、5代続く米穀店であり、自社農場でお米の生産まで行うという全国的にも珍しい形態をとる「志村屋米穀店」。代表の志村さんは、なぜ生産者と売り手の両者の立場に立つことを選び、どんな思い出お米や田んぼと向き合っているのか。そして、どんな人柄なのか。

いまに至るまでの道のりとは?

「好きなことで人の役に立ちたいという思いがぼくの米づくりの原点です」

「実は、僕はいわゆる脱サラして農家をはじめたんです。田んぼや米屋をやる前は、海洋調査の会社に潜水士として勤めるサラリーマンで、潜水士の仕事は楽しかったのですが、どこか自分の中でココが本当に自分に合っているのか、という思いがずっとひっかかっていました。

その会社では、全国を出張で回らせてもらって、いろんな経験をさせてもらったし、いろんな出会いがありました。そこで地方の農家や漁師の方々と知り合って、自分の目には第一次産業に従事する人がカッコよく見えたんです。

子供の頃から自然が好きで、自然に関わっていたい思いがあったので、仕事場として田んぼを意識したのはそのあたりから。また、全国を回るうちに米は日本の文化だなって言う思いがわき、田んぼは働く環境も自分に合いそうだし、知れば知るほどお米の魅力に引き込まれていった感じですかね。

潜水士を辞めることに迷いもありましたが、知り合いの農家の方に米づくりを体験させてもらって、やれそうだって自信がついたので思い切って転職を決意しました。

約20年前のことですが、当時はすでに農家の後継者不足が問題になっていて、自分が農家になって田んぼの面積を広げることができれば、世の中の役に立てるし、活躍できるかなって思って。それがぼくの仕事のモチベーションの原点なんです。

ただ、その時点ではお米をつくることばかり考えて、売ることをまったく考えていなくて。結果的に今は、米の販売を行っていた家業の米屋を継ぎ、自社農場を持ってお米もつくっていますが、最初は米屋を継ぐことと、お米をつくりたいことは繋がっていなかったんですよね」

客観的に見て、自身はどんなヒト?

「やりたいと思ったら、事前に考え過ぎずに突っ走るタイプです」

「ぼくはモチベーション優先で動ける性格なのかな。はじめは細かいことまで決まっていなくても、努力し続ければ良い結果がついてくると信じています。

転職は行き当たりばったりだったし、米屋と農家の両立についても、実際自分で米をつくるようになってから、売ることの大切さに気が付きました。売れなければ在庫が増えるだけですから。ぼくの米づくりは無農薬ですが、それが実現するのも売る場所があるからこそなんです。

農協に卸すなら生産効率や生産量を最優先に考えなければいけないけど、ぼくが田んぼでやっていることを店で直接お客さんに伝えられるから、無農薬のこめづくりのための手間や労力を価値に変えることができたんです。

米屋が米をつくることって、実は全国的にもかなり珍しいことですが、ぼくの場合は偶然実家が米屋だったのが功を奏した感じですね。転職するときにある程度は持続可能な夢かどうか検討しましたが、やってみてわかることもあるので、頭でっかちにならずに行動に移せたのが結果的によかったのかなと」

米農家として、米穀店として最も大事にしていること

「田んぼの魅力を広く伝えることとお客さんのニーズに応えることです」

「農家としては、田んぼの仕事を楽しくやりたいっていう思いが常にありますね。米屋として意識しているのは、当たり前ですがお客さんのニーズを大切にすることです。

まず、楽しく農業をやりたいのは、大変そうに田んぼの仕事をやっていても誰も興味を持ってくれないじゃないですか。ぼくはいろんな人を田んぼに招いて、田んぼの楽しさを伝えていきたいんです。

田んぼに興味を持つ人が増えれば、田んぼが生き残っていく方法が見つかりやすくなるから。田んぼでイベントをやるといろんな人が来てくれるのですが、米文化を伝えていくことって、今後のためにとても大切なことなんですよ。

米屋としてお客さんのニーズを意識するのは、ニーズがあるけど他がやっていないことには新しい価値を生み出す可能性があるからです。

たとえば、僕が米屋を始めた頃は、小田原のおいしいお米を売っていたのに、地産地消の感覚がなかったので、それを打ち出していなかった。小田原は観光地だし、住んでいる人は小田原が好きだから、小田原産をアピールしたら注目してもらえるようになりました。

ウチのお店の売り場は、お米のショールーム的な場所だと思っています。ただお米を並べるだけじゃなくて、そこでお米の説明ができるし、いろんなお米の食べ比べができるようにして、より深くお米に興味を持ってもらいたいなって。

常に世の中のニーズを意識していますが、ウチはお米をつくることと売ることの両方ができるので、自分たち発信でニーズを生み出すことができるのが強みですかね」

これからの展望

「田んぼの活用法を拡大して、お米の文化を広げることが目標です」

「最近は、田んぼでお米を作るだけでなく、田んぼをもっと無駄なく利用する方法を考えています。

たとえば、お米をつくると副産物として藁がたくさんできるんですが、藁は元々梱包材や草履の材料として使われていましたが、今では石油繊維に代わられてしましました。藁ならいつか土に還るので、環境にもいいと思うのですが、昔の方法に戻るのはそう簡単ではありません。

でも、今の技術で藁をうまく利用する方法があれば、ゴミを出さずに副産物を無駄なく使うことができますよね。いまは様々な分野で身近な天然材料を使い切れていないから、農作物の副産物の使い道の可能性を見つけていきたいです。」

ヒトに伝えたい小田原の魅力

「都会の生活を近くに感じながらも自然の魅力に触れられる場所ですかね」

「自然の環境に恵まれているのが小田原の良いところ。ぼく自身が小田原で生まれ育って、自然が好きになって今の生き方があるんですが、東京や横浜の人にとっても、小田原ってそんなに遠くない田舎だと思うんです。

わすが30分から1時間くらいの距離でも、都会の生活との明確な違いは、小田原は自分と他人の線引きがなく、地域の人たちと共生している意識が強いですね。

都会で働きながら小田原に住む人も多いし、都会と田舎暮らしの両方の良さを感じながら生活することができるんです。もちろん、都会に住まなければ感じられないこともありますが、この距離感で自然の魅力を満喫しながら生きられることは幸せだと思います。」

まとめ

130年以上続く家業の米穀店に入り、自社農場による米づくりをスタートさせた志村さん。そのモチベーションは、自分が好きなことで社会の役に立ちたいという思いだという。その言葉通り、様々なエピソードを聞いても志村さんはいつも自分以外の人や社会、また米文化の未来のことを考えていた。

目の前の田んぼやお客さんと真摯に向き合いながら、一方で常に広い視野で、自分の立ち位置ややるべきことを分析し、そこから生まれる目標を実現するために努力する習慣が身についているのだろう。

自分にとっても他人にとってもより良い環境を模索し行動する姿には、人や自然と気持ちよく共生していきたいという志村さんの優しい人柄が表れているように感じた。