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小さな養豚所で豚も自分も”らしく”生きる

「農場こぶた畑」代表 相原海さんに聴く

2022.10.24
小さな養豚所で豚も自分も”らしく”生きる

南足柄市苅野にある「こぶた畑」はとても小規模な養豚場だ。大規模養豚場が数万頭を飼育するのに対して、こぶた畑は多い時でも50頭。創業時は4頭だったというから驚く。

こうして育てた豚の肉はスーパーで売らずに、定期便の契約をした消費者のみに届けるという。定期便枠は完売で、ウェイティングリストがあるほど人気だ。

こぶた畑の相原海さんは養豚家の跡継ぎでも、農業学校に通っていたわけでもない。
養豚業に興味を持った青年時代から、ユニークな養豚家として多くのファンがつくまでになったお話を伺った。

いまに至るまでの道のりとは?

「18歳の時に高校を退学。養鶏家に出会い、『この世界で生きてみたい』と思った」

「高校に1か月だけ行って辞めたくらい、学校に馴染める方じゃなくて。その頃、日本はバブルの真っ只中。銀座で飲んでタクシーで帰ってくるような人が小田原にもいたんです。お金がバンバン動いて、経済成長して。でも、私は『あんな大人になりたい』とは思えなかった。

『お金ではない豊かさがある』と言われ、私にはそこに農業や畜産があった。そんな時に養鶏家の笹村出さんに出会って、この世界で生きていけたら嬉しいよなって思ったんです。

笹村さんは鶏の餌に地域で出た残渣を利用し、卵を地域で売って、そして鶏のたい肥を畑で使う“循環型養鶏”を行っていました。ごみを増やさず、鶏が地域の循環における結節点のようになっているモデルがすとんと腹に落ちて、背中を押してもらいました。

客観的に見て、自身はどんなヒト?

「資金100万円、豚4頭からのスタート。
ちょっとずつ暮らしが豊かになっていくのが合う」

「まず土木のアルバイトをしながら国内外の養豚場を見て回り、23歳でこぶた畑を始めました。最初はたったの4頭。3頭は大きくしてお肉にし、1頭は母として子を産ませて。そうして少しずつ大きくしていって。

行政の就農窓口に行ったら、養豚業は初期投資8000万円、150匹から始めるっていわれたんです。でも私は資本もなかったし、高額な資金を借り入れるリスクを負いたくもなかった。

アメリカの西部開拓の歴史とか見ると、ちょっとずつ暮らしが豊かになっていくでしょ。初め、お父さんが周りの木を切り出して、やっとこさ建てた小さいログハウスの中できゅうきゅう暮らしている。徐々に納屋ができて牛を買って毎日牛乳が飲めるようになる。日々の労働を積み重ねていくと、暮らしの豊かさの物差しが3センチずつ伸びていくみたいな。そういうイメージですよね」

養豚家として最も大事にしていること

「豚本来の穏やかな性質を大切に自然の状態に近づけること」

「豚は本来とても穏やかな性格なんですよ。母豚はとても注意深く、仔豚のちょっとした泣き声にも敏感に反応し、気を配る。

大きい農場だと何千、何万頭という豚を飼っていてね。うまくいくところもあるけど、豚に過大なストレスを与えやすい。例えば、母豚の管理においても体の向きを変えられないほど狭い檻に入れ、スケジュール通り出産するように分娩誘発剤を打つことになる。すると母豚は、自分のリズムと距離感で子豚と関係を結べなくなり、過度な緊張に陥ったり、逆に感情を失い無表情になったりしてしまうんです。

だから、ここでは、一般的に20頭ほど入れる広さに、あえて4頭程度しか飼いません。
豚が本来自然の中で育つ環境にできる限り近づけてあげることから外れたくないんです」

これからの展望

「こぶた畑をコミュニティに開いて養豚の世界を知ってもらいたい」

「『豚さんの寝顔を見て救われる』」と言ってくださる方が結構いて。こぶた畑にカフェの移動販売車に来てもらったり、森の幼稚園の子どもが遊びにきたりしたらいいなと。養豚を知ってもらうきっかけになったら嬉しいです

豚は可愛いですが、家畜とペットはやはり違う。グリム童話やピーターラビットでも家畜が描かれているけど、動物を殺して食べて、毛皮を取るといった営みの中に豊かさを見ていたのだと思う。

生き物には命があって、命っていうのは奪ったらなくなっちゃうもの。だから大事なんだよ。
人は家畜を利用するけど、時に彼らに翻弄されたり悲しみや痛みに共鳴したり。最後は彼らの命をいただく。こういう畜産文化が何千年も続いてきたし、豊かだと思う。養豚の世界をもっと知ってもらいたいんです」

ヒトに伝えたい足柄平野の好きな場所は?

「夢の一歩を踏み出させてくれたこの場所が好き」

「小田原の好きな場所ですか?酒匂(さかわ)川の源流部もきれいだけど、やっぱりこぶた畑から見る景色も好きですね。

この辺って丘陵地帯で農業や畜産に向いてないんですよ。だって平面が続くところのほうが生産性があげられるからね。条件の悪いところでやっていくんだから、生産性だけをメインにしてたら無理。そうじゃ無いものをどれだけ楽しめるかってところが、人生の醍醐味なんじゃないかな。

そして、この景色を眺めていると、私に土地を貸してくれた方々のことも思うわけですよ。場所探しに苦労してたとき、多くの人が「あの人に聞いてみたら?」ってつないでくれて。残渣から飼料を作るっていうことにも賛同してくれて。このあたりは、自然が好きで環境問題に行動を起こしている人もかなりいる。ここは様々な想いでたどり着いた場所なんですよ」

まとめ

相原さんは18歳という若さで、“自分らしく生きる道”を堂々と拓いた人である。だからこそ、「豚をどのように生かすのか」ということにも真っすぐだ。

人も豚も生き方はいろいろある。正解なんて何もない。ただ、こぶた畑の相原さんと豚の生き方を見ていると、誰もが憧憬を抱くのではないだろうか。