小田原からのメッセージ31
名作を生み出した里

詩人北原白秋は、
生涯で幾度となく住まいを変えました。
九州の水郷・柳川に誕生して以来
一説では、移り住んだ回数は三十回近くにものぼるそうです。
そんな白秋が小田原に暮らしたのは異例の長さ、
大正七年(一九一八)から大正十五年(一九二六)にかけて。
ほとんどが借家住まいの白秋ですが、
小田原にだけは、自らの家を構えています。
関東大震災さえなければ小田原に永住したのでは…
と言われるほどです。
文壇での輝かしい成功、生家の破産、
裁判沙汰にまでなった愛憎劇など、
起伏の激しい白秋の生涯の中で、
小田原時代は子供も授かり、
精神的に安定した八年間でした。
『待ちぼうけ』『ペチカ』『アメフリ』など、
ほとんどの童謡は小田原で発表されています。
穏やかな気候、心なごむ田園風景や潮騒、
植物や小動物の息遣い、
そして、仏心を育んだであろう数多の寺院など 様々な小田原の表情が、
あの家族愛、人間愛にあふれた
童謡を生みだしたのではないでしょうか。
白秋のように創作の土壌としないまでも
小田原や真鶴に住むということは、
ゆったりとした心持ちで暮らす
ということにもつながります。
そんな環境が、新幹線を利用すれば、
品川駅までは二十九分。
朝七時台には十分おきに発着するので、
仕事の中心が都内でも、まったく苦になりません。
これからも、もっと、小田原に住みたい、
来訪したいと思われるような
街づくりを心掛けていきたいものです。