トーク&とーく

国府津の海に夢を追って九十年

国府津館三代目主人
日本魚の会会長
蓑島 清夫さん


聞き手 株式会社鈴廣蒲鉾本店 代表取締役会長 鈴木智恵子


創業百十八年を数える老舗旅館・国府津館の館主として、
また、「日本魚の会」の会長として、活動を続ける簑島清夫さん。
九十一歳の心をなお弾ませる夢の実現をめざしているとうかがいました。


長寿の秘密は魚を食べることにあり

 

蓑島 昨日が誕生日で、九十一歳になりました。

鈴木 おめでとうございます。長寿の秘密は、毎日お魚を召し上がっておいでだから?

蓑島 日本人はもともと農耕民族で、欧米人のような狩猟民族ではありませんのでね、体質的にやはり魚食が合っているのでしょう。
  先夜、大きな魚にでも追われたのか、イワシが近くの浜に打ち上げられまして、皆、バケツを持って拾いにいきました。天然の恵みを丸干しにして、今朝もいただきました。

鈴木 イワシも旬を迎え、おいしいですね。ちょうど今時分、子どもの頃の朝、地引き網を引く手伝いをしては、腰に付けたザルにお駄賃のシラスを入れてもらったものです。夕方になると漁師さんが、今日はナギサだとかイナダシケだとか話すのを聞いて過ごしたものですが…。
  あるとき、その漁師のおじさんが、「ちえちゃんよぅ、おめえはチェッコスロバキアから貰われて来たんだってなぁ」って(笑)。
本当にそれを信じてしまって、人知れず悩んだものです。
  何でかというと、私は、父に連れられて海岸でばっかり遊んでいたから顔は真っ黒だし、"飛びっこ"(小田原言葉で駆けっこのこと)がとても速いし、妹たちとずいぶん違っていたのす(笑)。

蓑島 ハッハッハ。網元のお嬢ちゃんをちょっとからかってやれと…。
  昔の子どもは、よく浜で遊んだものでしたね。私は、茹でたお芋を餌に、クロダイ釣りに熱中しました。今の川は汚染物質を流しますが、昔は、上の方でお百姓が洗うお芋を流したりするのでクロダイが食べに来てたんですね。

鈴木 波の引いた後、砂に一センチ程の穴を見つけて、麦ワラを差してみると、ちょっと動くのですね。そこを手で静かに掘ると、小さなカニがいるのです。それは面白い砂遊びでした。

蓑島 ああ、スナガニですね。水が来ると、穴からぶくぶく泡が出てね。思いっきり遊ぶ場の無い今の子どもは可哀相ですね。

蓑島 清夫さん

みのしま・きよおさん
大正4年国府津に生まれる。明治21年創業の旅館・国府津館の三代目主人。本業の傍ら、魚類学研究に打ち込み、現在、「日本魚の会」会長を務める。2000年に神奈川県生命の星・地球博物館で開催された第33回日本魚類学会において記念講演を行なった。

昭和23年8月に発行された「日本魚の会」会報第一号。
昭和23年8月に発行された
「日本魚の会」会報誌第一号

”小学校一年生”に未来の夢を描く

蓑島 この年になって、いくつか心がけることの中に、「夢を持つ」があります。で、夢の対象に何を
選んだかというと、小学校一年生の子どもたちなんです。


開業当時の国府津館
開業当時の国府津館の様子


  小田原のすべての小学校に備えたいと、一年生の教室に、魚類図鑑を贈っています。子ども同士で相談して、どうしたらこの魚を上手に飼えるか、考えたり、研究したりする力を育ててもらいたいと。日本は、周りが海の国、魚は一番親しみやすい生きものです。魚と友達になることが、すぐれた情操教育になるのではないか。こんなふうに考えているんです。

鈴木 すばらしい夢が実現中なのですね。これはそのまま、先生が少年時代から大切にして来られたはるかな夢の続きということでしょうか。

蓑島 そうかもしれません。湘南中学四年生のとき、「日本の魚類学の父」といわれた田中茂穂博士の教えを賜る機会を得たのです。
  昭和天皇にご覧いただくタカアシガニの標本を制作中にお会いし、そのご縁から、東京の近衛師団に所属した兵隊時代も、休暇になると、東大の田中先生の研究室へ出入りして勉強させていただきました。
れは戦後の話ですが、ある著名な魚類学の先生が、「この魚は珍しいなあ、ガラス・フィッシュとでも命名しようか」と。それは透き通った魚でした。すわ、新種の発見だというんでNHKが取材に来たり、大騒ぎになりました。
しかし私は、直感で、これは何かの幼魚だと思ったのです。で、半年間飼ってみたら、だんだん黒くなって、しまいにハナビラウオになりました。それが、「実験動物」という学問なんです。

鈴木 現在も、研究は続けていらっしゃるのですか?

蓑島  すぐ前の海に刺し網を設けてありまして、見に行きます。で、魚の分類をしているのですが、私の若い頃で約九二〇種類だったのが、今では約一四〇〇種にもなっています。海もずいぶん変わっているのではないでしょうか。
  実験目的でたくさんの魚を飼っておりまして、イセエビの脱皮を観察するのに、一晩中起きていることもあります。

東宮御所へ大ブリを持って


鈴木  二〇〇〇年に、神奈川県立生命の星・地球博物館で開催された日本魚類学会の年会では、先生が記念講演をされ、天皇陛下もご臨席になりましたね。

蓑島
 今の天皇陛下が皇太子でいらした頃、しばしば東宮御所へ伺いました。他の学者と違い、私は、大きなブリだの生きた魚をそのまま持って行くのです。
  エビやカニをご説明しようと持って行った折りに、研究室へ幼い浩宮さまが入って来られて、大変興味深そうに触っておられました。

 

鈴木 智恵子
 


対談風景


九十年見ても見飽きぬ国府津の海



鈴木 沢栄一、西園寺公望、幸田露伴など多くの著名人が宿泊されたのは、このお部屋ですか?


蓑島
 うなんです。ご覧のとおり、窓もサッシでなく昔のまま、表面が波打った手作りガラスが入っています。新しく直そうかと思っても、「これがいいんだ。直しちゃいけないよ」とおっしゃってくださるお客様が多くて。明治二十年七月十一日に、東海道線が国府津まで開通し、国府津駅前はにわかに新開地として活況を呈し、翌年には当館が開業いたしました。当時は、湯治客を運ぶ馬車鉄道が国府津から湯本まで走っておりましたし、熱海・網代までの汽船も、駅前から海岸へ下りたところから一日一往復出ていました。「豆相汽船会社」といって、うちのお祖父さんが発起人総代でした。波が高いと欠航になるので、出港待ちのお客様で旅館も忙しかったそうです。

鈴木 こうしていると、手を伸ばせば大島に届きそう。国府津の海が一望のすばらしい眺めです。



多くの文人・名士に愛されたたたずまいが残る国府津館の客室で。

国府津の浜から箱根方面をのぞむ
国府津の浜から箱根方面をのぞむ。

蓑島 ずっとそばに住んでいて、九十年の余も海を見ていて飽きるということがありません。
昨年末に体調を崩して、三カ月ほど入院したのですが、その間、何が見たいって、国府津の海が見たくて…。退院した次の朝、自分の部屋からいつもの海を見たときのうれしさは忘れられません。

鈴木 ご快癒おめでとうございます。ご健勝で、これからもご研究を続けられますようお祈り申し上げております。どうもありがとうございました。