江戸時代の食風景(その48)

食文化史研究家 永山 久夫

江戸っ子の新酒好き
 

 

蒲鉾のある食卓

新酒の季節

 
寒い季節は酒に合うおいしい肴も豊富です。年間を通じて酒造りを行えない江戸時代の酒好きは、今の人よりももっとこの時期が待ち遠しかったことでしょう。

 

「下りもの」は高級品だった

 
日本人は、昔から初物好きである。
 初物によって、いち早く新しい季節の訪れにふれることを、無上の喜びとしてきた。なかでも、江戸っ子の初物好きは際立っていて、その嗜好性は、飲酒にもみること
ができる。
 上方から運ばれてくる「新酒」である。
 上方から江戸に送りこまれる荷を「下りもの」といった。伊丹や池田、灘などから、江戸に運ばれる酒を「下り酒」と呼んで、江戸っ子は大歓迎した。
 酒ばかりでなく、醤油も、塩や菓子までもが、上方から入ってくる「下りもの」こそ高級品とされ、江戸周辺の産物は、「下らないもの」として下級品扱いされたのである。
  当初、新酒は秋の初めに造る酒を指していたが、次第に寒造りを意味するようになった。
 江戸時代の中期になると、「醤油土用(どよう)に酒寒(かん)に」といわれるようになっていく。醤油は夏の土用に、酒は寒中に仕込むのが、その香味がもっともよくなるということを
示している。
 雑菌の少ない寒い季節に造るから「寒造(かんづく)り」とも呼ばれ、低温殺菌の「火入れ」などの技術も開発されて、日本酒の品質は向上、安定化し、大量生産も可能となる。このようにして、それまでの濁り酒ではなく、庶民の口にも「清酒(すみざけ)」が入るようになった。


『江戸名所図会』より
 

飲み方によっては長生きの薬

 大量の酒を上方から江戸に運ぶためには、それまでの瓶や壺では非効率極まる。その結果、杉樽が登場してきた。
 当初は馬の背に揺られて、東海道を下っていたが、やがて大量輸送を可能にする酒運搬専門の樽廻の港で船積みされ、熊野灘、遠州灘、相模灘を経て江戸へ運ばれた。その間、荒波にもまれることで、杉樽の中で杉の香りが酒の中にしみ渡り、いっそうの風味がつく。この杉の香りのする新酒を、江戸っ子はことのほか好んだ。
 江戸っ子の好みは、まだ麹の香りが抜け切れていないような、搾りたての新酒だったようである。これを「新走(あらばしり)」ともいった。出来立ての新酒のことで、まだ酵素や酵母、麹酸などが生きている状態だから、新陳代謝を活発にする働きが高く、健康にもよい酒だったはずである。
 時代が下るにつれて、江戸入津の下り酒の量は増え、「江戸の食い倒れ」といわれた文化文政(一八〇四〜一八三〇)になると、実に百万樽を超えるほどの全盛期となる。
 江戸に送った酒を、また船にのせて上方に持ち帰る酒を「戻りと呼び、酒自体がさらに練り上げられて、味がよくなるため、上方ではたいへんに珍重されたという。
 江戸っ子の飲んでいた居酒屋はどのくらいしていただろうか。酒一合の値段は次のとおり。
立ち飲み…八文(約百五十二円)
お銚子…十二文(約二百二十八円)
上酒…二十四文(約四百五十六円)
極上酒…三十二文(約六百八円)
 現在と比べると、ちょっと高価な感じがするのは、流通コストが高かったためと考えられる。しかし、そのようなことは考慮することなく、酒好きは増えるばかりであった。