江戸時代の食風景(その47)

食文化史研究家 永山 久夫

「お食い初め」と小豆ご飯
 

 

蒲鉾のある食卓

お食い初め膳
  江戸時代をずっとさかのぼり、『源氏物語』にも「五十日の祝い」としてお食い初めのエピソードが出てきます。子供の健康を祈る気持ちはいつの時代も同じです。

 

七歳前は神様の子

「はえば立て、立てば歩めの親心」
 
このことわざには、子の無事成長を祈る、切ない親心が示されている。
 とくに、昔は幼児の死亡率がきわめて高く、子育てには少しの油断もならなかった。
「七つ前は、神さまの子」といわれるように、幼児は、容易に神のもとに連れ去られてしまうほど、はかない存在だった。
 幼児の死亡率は、全死亡率の七〇パーセント前後を占めていたというのだから、親の心配は並大抵ではない。
 古い日本の社会では、七歳になって初めて幼児の生存権が地域の人たちに承認され、人別帳(戸籍)にも記載された。
 このため、子のすこやかな成長を願って、折り目折り目に、行事が行われてきたのである。

お赤飯には意味がある
 
 
子が無事に生まれたとしても、まだ霊界からやってきたばかりであり、産神(うぶがみ)の支配下にあると考えられていた。
 そこで行事を行うことによって、家族や地域社会の仲間入りしたことを示したのである。まず、生後七日目に「お七夜」があり、親子ともども祝う儀式で、ふつうはお
赤飯を炊き、尾頭つきのタイを添えてお祝いをした。この日は名前をお披露目する日でもあり、産婆や親類縁者を招いて祝宴を行う。
 生後初めて氏神さまにお参りすることを「宮参り」という。男児は三十二日め、女児は三十三日めに行うのが一般的。もともとは、生まれた子供を、その土地の氏神さまに認めてもらうことによって、地域社会の一員にするための儀式で、平安時代から行われてきた。
 赤子の通過儀礼の中で、とくに重要なのが「お食い初め」。生まれて百日目に行う儀式で、土地や家によっては、百二十日めに行うこともある。
 子供が一人前の人間として成長し、一生食べ物に困らぬよう、ひもじい思いをすることのないように、との願いが込められている。
 


江戸時代のお食い初め(『絵本女中風俗艶鏡』より』)
 

  乳離れする日でもあり、母乳以外の食べ物を、初めて箸を使って与えるところから「箸初め」とか「箸祝い」とも呼ばれ、土地によっては、百日目に行うところから、「ももか」(百日)ともいう。子供のために新しい茶碗、皿、箸などが用意され、お赤飯に焼き魚が添えられるが、魚は将来、人の頭(かしら)になれるように、との願いから、頭の大きなホウボウやイシモチな どが好まれる。お赤飯は、一粒でもいいから口に含ませるようにする。小豆の赤い色素には、厄除けの力があると同時に、子供の頭脳力の発達に役立つビタミンB1が豊富に含まれている。食膳には必ず小石をのせ、歯が丈夫になるようにと、噛ませるまねをする。
 このようにして、親や家族に見守られ、数々の病気や災難をくぐり抜け、「七五三」のお宮参りとなり、ようやく子供は「神の子」から、晴れて社会構成員の一人となれたのである。.