奥津静子さん(三十五歳)

スローフード精神で日本の生活文化を再構築し、豊かな食を広めようと
料理教室を主宰する

昭和41年、南足柄市狩野に生まれる。南足柄小学校、南足柄中学校、県立小田原高校を経て、国立岡山大学教育学部卒業。大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、家庭科専任教諭として私立中・高等学校に5年間勤める。さらにル・コルドン・ブルー東京校本科でフランス料理・菓子・製パン課程を修了し、同校グランディプロム、製パンディプロムを取得。平成9年、小田原市城山3丁目18番15号103に料理教室『ラ・ボンヌ・ターブル』を開設。平成11年、「パリ商工会議所フランス料理学校(フェランディ校)」上級コース修了。修了試験で3位入賞を果たす。現在、『ラ・ボンヌ・ターブル』を主宰する一方、専門学校の講師を務め、他にも学校・企業内で料理教室を開催。なおかつ毎年数回イタリア・フランスなど海外で料理研修をつづけている。イタリア・スローフード協会会員。
●『ラ・ボンヌ・ターブル』ホームページ●
homepage1.nifty.com/labonnetable/


 

この料理が楽しみで来るのよ

 
奥津静子さんは南足柄市狩野に双子の兄妹として生まれた。上に姉が一人いた。その奥津家は狩野に残る旧家の一軒で、数ある分家を束ねる本家であった。
 母親の京子さんは伝統的な料理に新しく学んだ料理を加えてレパートリーを広げ、毎日の食卓を豊かにし、毎年定期的に集まる分家の人たちをもてなしていた。家族も、分家の親類も、京子さんの料理に舌鼓を打って賑わった。
 そうした暮らしの中で、静子さんは食べる楽しみを知った。期せずしてそれが静子さんの料理との出会いとなったのであろう。
 静子さんはだれにいわれるわけでもなく、幼いうちから母親の料理のテキストを参考にして、自分でつくり始めた。クッキーやクレープなども、当時はまだ一般に普及するまでには至っていなかったが、静子さんは子どもながらに果敢にチャレンジした。
 本を見て菓子をつくるのだが、表面をキャラメル化する焼き鏝がなかった。静子さんはふと台所の包丁を見て代用することを思いついた。やってみるとうまくいった。だが、包丁は使い物にならなくなってしまった。
 叱られると、今度はスプーンを代用し、またしても叱られた。しかし、静子さんの料理熱は冷めるどころか、ますます熱くなった。自分のつくったものを他人が食べるのを見るのが楽しいのである。おいしいといって喜ぶ姿を眺める
のはさらに嬉しかった。
 失敗や台所を汚すことで叱られることも多かったが、両親は静子さんのためにオーブンを買ってくれたし、道具も揃えてくれた。
 こうして年月を重ねるうちに、家に集まる親戚の人たちが、静子さんがつくる料理を食べながら、
 「みんな、この料理が楽しみで来るのよ」
 と、いってくれるまでになった。


姉・範子さんの七五三記念写真
(向かって右が静子さん。昭和42年頃)


買うことができない料理だから

 姉の範子さんと双子の兄の貴さん、そして静子さんの三人はのびのびと育った。範子さんは学業成績が優秀であったし、兄の貴さんは剣道に打ち込み、静子さんは料理に夢中になっていた。それぞれに持ち味を持った兄姉妹だった。
 静子さんは貴さんと揃って小田原高校に進学したとき、「大学に進学し、自分の道を見つけよう」と考えた。
 静子さんは家で焼き上げた菓子を学校に持って行き、クラスメイトたちをいたく喜ばせ、自分自身も幸せな気分を満喫していたのだが、料理を職業として生きることは念頭になかった。
「なるとすれば、学校の先生かな、それとも通訳になろうかなあ」
 友達と将来を語り合うときには、そんないい方をしていた。
 結局、何の先生になろうかと考えたとき、そこで初めて料理の楽しさが頭に浮かんだ。家庭科の先生があるじゃないの、それにしよっと――と、そのひらめきの延長線上に国立岡山大学教育学部があった。
 岡山大学で静子さんに一番大きな影響を与えたのが、家政学の深田貞子教授だった。深田教授はアメリカで家政学を極めた「家庭管理論」の権威であった。研究室には玄関から浴室、台所、寝室まで揃い、理論と実践を同時に学ぶユニークな設計になっていた。
 下宿暮らしで台所が十分に使えないために、静子さんは授業のとき以外も大学の研究室の台所に入り浸って、同級生の分までつくった。
 「買って食べるよりおいしい」
 友達がいうと、すかさず深田教授がひとこと。
 「そうじゃなくて、買うことができないものだから、おいしいのよ」
 わっと笑いに湧いて楽しさに紛れ、そのときは深田教授の言葉を深く噛み締めずにきたが、言葉だけは印象として焼きついていた。
 静子さんは後にその言葉を味わい深く思い起こすことになる。
 さて。
 静子さんは岡山大学を卒業して、すぐに大阪あべの辻調理師専門学校へ入学した。当時は本格的なイタリア料理が紹介され始めた頃で、それに興味を持ったこともあるが、本格的に勉強し、調理師となって店が持てたらいいな、という思いもあった。
 調理師の資格を取って将来に生かそうとする人たちに交じって一年で修了したが、静子さんがそこで学んだ料理は広く浅いものだった。売ることを目的とした味は決して悪いものではなかったが、何か物足らない気がしてならなかった。このとき、静子さんの脳裏に深田教授の言葉が鮮烈に蘇った。 
 買って食べるのとつくって食べるのとの違い――食べることに違いはないが、どちらに重きを置くかで生活文化がまるで違ってくる。商売のために料理するのではなく、また、受け身に食べて生きるのでもなく、みずから作り手となって料理を生活文化として広め、日本人の暮らしの中に定着させる。
奥津家にはごく自然なかたちでそれが根づいていた。そこに家族の確かなきづなが生まれ、人が集まり、団欒が生じた。学問で得た知識を通してはっきりとそれが確認できた。
 ただ、食べることを楽しんでいただけではないのだ。つくるということは手間がかかるが、練習もし、工夫もするから、進歩して、文化としての奥行きも深くなる。店を持って客に喜ばれる物をつくるのも確かに料理の一つの道だが、私の行く道は違うのではないか。


ル・コルドンブルー・ジャンボの修了式にて

心を込め、手間をかけるから文化になる

 奥津静子さんがのちに主宰する料理教室の名称『ラ・ボンヌ・ターブル』は、「ご馳走」「おいしい素敵な食卓」という意味である。料理は人が生きるために欠かせないものだが、そうした機能的な営みのほかに、生活に〈華〉を添える意味合いを併せ持つ。もっと良いものが食べられるようになりたい――この言葉に人生の目標が込められているように、食べることは多くの意味を伴っている。
 ただ、買って食べるというだけの簡単便利な食卓が素敵なものといえるだろうか。だれが食べても可もなく不可もなく同じ味がする。そんな食事がご馳走といえるだろうか。日本人がみんなそんな食べ方に走ったらどうなるだろうか。
 贅沢ではなくとも確かな味できちんと料理されていれば、それがご馳走になり、おいしい素敵な食卓となり、生活を豊かにし人生の励みになる。
 静子さんは子どもの頃から知らぬうちにそのようなことを料理の目的にしてきた。
 身近にある幸せを人に伝えるためには、自分がもっと確かな味を知り、つくり方を身につけなければならないのではないか。
 郷里に帰って一度は教壇に立った静子さんではあったが、考え直してル・コルドン・ブルー東京校に入学、本科全課程を修了し、同校のグランディプロムと製パンディプロムの数少ない取得者の一人となった。
 そのル・コルドン・ブルーにダニエル・マルタンさんという有名なシェフがいた。静子さんはそのダニエルシェフのつくるブイヤベースにカルチャー・ショックを受けた。つくり方も雑だし、仕上がりも美しくない。だが、その力強い味は静子さんが知っていたブイヤベースのものとはまったく違っていた。
 「こんなにおいしいブイヤベースがあったのか」
 静子さんは自分の無知に愕然とした。
 知らない料理や味はまだたくさんある。十分に学んだうえで満を持しての『ラ・ボンヌ・ターブル』の開設であったが、ダニエルシェフから受けたカルチャー・ショックによって、静子さんの頭には教える自分の向上が欠かせないという意識が根づいていた。独りよがりの味は、すなわち料理を独りよがりにする。
 静子さんは自分が身につけた味と料理が、果たして本物かどうか確かめたくなった。静子さんは、パリ商工会議所フランス料理学校『フェランディ』に飛び、上級コースで学んだ。その修了試験に臨んだのは十五人の日本人だった。


パリ・フェランディー校んて。ガブリエル・ブスケ先生と


 うち五人が女性であった。結果は一、二位は日本の一流ホテルやレストランて働く男性、静子さんは三位だった。
 自信を得た静子さんではあるが、毎年海外研修を欠かさずにいる。自分を通して生徒が海外の生活文化を知ることになるのだ。そうした研修の過程で、静子さんはフランス料理だけでは足りないことに気づいた。そして、フランス料理の源流ともいうべきイタリアにも出向くことになり、イタリア・スローフード協会と出会った。
 スローフードというのは、ファーストフードの反対概念である。人はパンのみに生きるにあらず――食べて生きるだけでは心まで貧しくなってしまう。産地をも含めて素材に通じ、確かな味を知り、それに少しでも近づこうとして努力し、手間をかけてつくる。そのこと自体が生活文化の一部になっていく。
 しかしながら、この運動が生まれたということは、すでに多くの人がスローフードの精神を失い始めているということだ。静子さんは広く世間に呼びかけずにはいられなくなった。
 「皆同じものを着て同じものを食べて、同じであることがそんなに大切でしょうか。簡単であることが、そんなに素晴らしいことなのでしょうか。いろいろなものが省かれ、大切なことが見失われそうです。この辺で本当の豊かさを追求してみませんか」
 静子さんは大人だけでなく子どもにも、「手をかけたおいしい料理」がもたらす生活の豊かさ、心の豊かさを伝えたいと願っている。料理教室の主宰講師として、企業内の料理教室の講師として、なおかつ学校の栄養学・生活科学講師として、静子さんの席は暖まる暇もない。
 ところで。
 いつの間にか兄の貴さんは剣道六段になっていた。稽古に明け暮れる長い年月の積み重ねの結果である。静子さんは双子の兄の昇段に励まされたような気がした。まだ、三十五になったばかりなのだ。地道に今の努力を積み重ねていけば、必ず結果につながっていくのだ。